誰もが先生~学びはどこにでも【嫌いな先輩の一言】~

くれたけ心理相談室大阪支部 心理カウンセラーの宇野謙一です。

ご訪問いただき、ありがとうございます。

 

私が若い頃から頑なに守っていることの一つに、「集金される金額が事前に分かっていれば、ちょうどの(お釣りがいらない)額を用意しておく」があります。

当たり前のことのようでいて、以外とできていないこともありがちではないかと思いますが、ある時を境に、私は確実にこれを実践しています。

 

大学時代、お互いにとことん合わないクラブの1年先輩がいました。

価値観・性格・人間性etc…、どの点から見ても相容れず、一言で言って、私にとっての「理想の先輩像」とは著しくかけ離れた、当時の私が「先輩とはこうあるべきだ」と信じ、先輩だった時の自分にも求めてきたあり方の、正に真逆をいくような人でした。

はっきり言って、大嫌いでした。

 

そんな先輩でしたが、時として、もっともだと自身の学びとして受け入れられることを言うことがありました。

私が、「集金される金額が事前に分かっていれば、ちょうどの(お釣りがいらない)額を用意しておく」ことを徹底するようになったきっかけは、その先輩の(自分に向けて言ったのではない)一言です。

ある学生コンパの際、参加費用の集金時に、お釣りの必要な金額を渡された幹事が困っているのを見て、「こういう時は、お釣りがいらないように金を渡すのが当然だろ!」と誰に言うともなく口にした言葉を私は聞き逃しませんでした。

「これはいいことを言ってる。その通りだ。見習おう」

率直にそう思いました。

「誰の言うことであっても、良いと思ったら素直に聞く」というモノサシが私にあったようです。

 

「坊主憎けりゃ袈裟まで憎い」で、相手に対する個人的感情と相手の言葉の価値を切り離して考えることはなかなか難しいかもしれません。

しかし、その価値を読み取り、自分のものとして取り入れるメリットが測り知れないと思うのであれば、個人的感情は一旦おろして、言葉だけを受け取ればいいのではないでしょうか。

坊主が憎くても袈裟には何の罪もない。嫌な相手の言うことでも正論は正論。

「集金される金額が事前に分かっていれば、お釣りがいらない額を用意しておく」。ただそれだけのことですが、私にとっては、嫌な相手からでも時には学ぶことがある、という良い経験でした。

その人物がどうであれ、学ぶべきものは誰からでも学ぶ。

また、大切なことを過去の自分から学びました。

 

本当に、人にとっては、誰でも先生であり、学びはどこにでもある、ということなのですね。

 

お楽しみ様でした。

たとえ嫌いな相手からでも何かしらの学びはあると思います。

投稿者プロフィール

宇野謙一カウンセラー
宇野 謙一くれたけ心理相談室(大阪支部)心理カウンセラー
くれたけ心理相談室(大阪支部)は、大阪府大阪市・八尾市を拠点に心理カウンセリングを承っております。エリア外の皆様にも、Zoomや電話等によるカウンセリングにて対応させていただいております。

カウンセリングを通じて、「困っていた問題」 が 「新たな気づきや成長へのきっかけ」となることを心から願っています。

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