ほどほどが一番?~必要だけど煩わしいもの〜
くれたけ心理相談室大阪支部 心理カウンセラーの宇野謙一です。
ご訪問いただき、ありがとうございます。
ないとほしくなるけど、あったらあったで煩わしい。
一つの対象に、こうした相反する感情を同時に持つことがあるのではないでしょうか?
思うに、これは、その対象が自分にとって必要なものと不要なものを兼ね備えているからではないかという気がします。
身近な例を挙げてみますと…
彼氏や彼女がいなければいないで、それはそれで寂しかったり満たされなかったりするでしょう。
ところが、できたらできたで、無性に1人になりたくなることが場合によってはあるのでは、と思うのです。
私自身が、それを経験しています。
また、上司の厳しくも適切な指導とそれに伴うキツいお言葉も、その正しさを認識しているからこそ、煩わしさも感じますが、たまたま上司が休みだったり、その日に限って何も言われなかったりすると、それはそれで物足りなくはないでしょうか?
私は、それも経験しています。
彼氏や彼女。厳しくも適切な指導のできる上司。
自身に「癒し」や「適切な指導」を与えてくれるという点では、必要且つありがたい存在。
その一方で、たとえば、「束縛」や「我がままの押し付け」、「萎縮させられる空気」などがあるとすれば、煩わしい(関わりたくない)存在。
こうは言えないでしょうか。
人には、良いところも悪いところもあって、誰と関わってもこうしたことは避けようがないのではないかと私は思っています。
良いところと悪いところのバランスがうまく取れていて、相手に自分にとって不要なところがあっても、理想と言われる「柿の種」のあられとピーナッツの配合比率のように、感情の快・不快が7対3くらいのストレスで済めばいいのでしょうが、人に「主観」というものがあり、相手のみならず自分自身をも尊重する限り、なかなかバランスの取れた関わり方は難しいような気がするのです。
人を愛するのも、部下に厳しく適切な指導をするのも、大いに良いことだと思いますが、踏み込み過ぎたり、指導の名の下に行き過ぎた言動があったりして、相手の感情の比率がベストでなくなった(ストレス過多になった)場合に、別れ話やカウンセリング案件などになったり、嫌がらせだのハラスメントだのと騒ぎになったり、真剣な気持ちが裏目に出てしまうこともあるのではないでしょうか。
人と人は常に気持ちのキャッチボールをしていると考えると、お互いに、相手が捕りやすい球を投げ(ほどほどを心がける)、どこに投げてくるか分からないことを想定して動く(必要なことと煩わしいことの混在を受け入れる)心の準備が必要なのかもしれませんね。
必要だけど煩わしい。
この相反する感情のバランスをうまく取り、快・不快がありながらも、ほどほどに心地良い。
そんな関係性の構築、皆さんはどう思われますでしょうか。
お楽しみ様でした。

「ないとほしいが、あったらあったで煩わしい」と思うのは、そこに自分にとって必要なものと不要なものが混在しているからではないかと思います。人との気持ちのキャッチボールの中で、「ほどほどの球を投げる」「ほしい球も煩わしい球も臨機応変に動いて捕る」という心の準備が必要なのかもしれません。相反する感情のバランスをうまく取り、快・不快がありながらも、ほどほどに心地良い。そんな関係性の構築、皆さんはどう思われますでしょうか。
投稿者プロフィール

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