祖母の最後の言葉~敬老の日に考える「愛情」~

くれたけ心理相談室大阪支部 心理カウンセラーの宇野謙一です。

ご訪問いただき、ありがとうございます。

 

今日9月15日は「敬老の日」。

Wikipediaによりますと、1947年(昭和22年)9月15日に兵庫県多可郡野間谷村(現在の多可町八千代区)で、村主催の「敬老会」を開催したのが「敬老の日」の始まりとされているそうです。

「老人を大切にし、年寄りの知恵を借りて村作りをしよう」という趣旨から55歳以上の人を対象に開催されたとのこと。

今の自分の年齢が対象に当てはまることから、時代の流れ、先人の苦労が偲ばれる気がします。

 

そんな「敬老の日」に改めて思い出すのは、31年前の夏の終わりに亡くなった祖母のこと。

娘時代は奉公に出たり、いろいろ苦労もあったようですが、そんなことは一言も口にせず、ただただ周囲を思いやる人でした。

ランドセルも買ってもらいましたし、一人で訪問すると「(年金生活を案じる母に『あげなくていい』と言われていたため)黙ってたら分からないから」と断ってもお小遣いをくれようとするような人でした。

大学を卒業して就職した時も、当時のCMのフレーズを用いて「頑張って!」と激励してくれました。

 

そんな祖母が、1994年の夏、折からの猛暑で体調を崩して入院しました。

春先から具合が良くないと聞いており、心配していましたので、早速見舞いに行きました。

すると、その時には、もう、苦しみや体の痛みで殆ど呻き声しか出ていませんでしたが、にも関わらず、付き添っていた叔父に私が来たと聞かされるや、「冷たいもん出したってや」とはっきり言ったのです。

正直、これには驚きました。と言うより感動しました。

この状況での、孫を思いやるそうした言葉に、本当の「愛情」とはこういうものかと思いました。

その後は、言葉を発することはなく、数日後に亡くなったため、これが、私が聞いた祖母の最後の言葉となりました。

 

AIは、「愛情」について次のように伝えています。

相手を大切に思う(体調を崩せば心配し、頑張っていれば応援したいと思う)。

無償の気持ち(相手の幸せを願い、見返りを求めず、無条件に与え続ける)。

信頼(相手の言葉を無条件に信じる)。

与えることと受け取ること(与える側も受け取る側も幸せにする力があり、互いに育て合うもの)。

 

だとすれば、祖母が私にしてくれたことは、最後の言葉に到るまで、「愛情」以外の何物でもありません。

相手を大切に思い、無償の気持ちを与え続け、どんな時にも信じて応援してくれていました。

恐らく、そうすることで、祖母自身も幸せになれたのではないでしょうか。

「与えることと受け取ること」が「愛情」の一つだとすると、そう思えてなりません。

そして、もしかすると、私も、あの最後の言葉を聞いた時、祖母に最後の幸せを受け取ってもらえたのかもしれない。そんな気がしてきます。

 

今更ながら、受けた「愛情」に感謝し、自分もそうあらねばと心を新たにする「敬老の日」です。

1947年(昭和22年)9月15日に兵庫県多可郡野間谷村で、55歳以上の人を対象に村主催の「敬老会」が開催されたのが「敬老の日」の始まりだそうです。今の自分の年齢が対象に当てはまることから、時代の流れ、先人の苦労が偲ばれる気がします。1994年の夏に亡くなった祖母の(私が聞いた)最後の言葉「(見舞いに来た私のために、付き添っていた叔父に言った)冷たいもん出したってや」。「与えることと受け取ること」が「愛情」の一つだとすると、あの言葉が私と祖母が互いに受け取った最後の幸せもしれない。そう思うと、今更ながら、受けた「愛情」に感謝し、自分もそうあらねばと心を新たにする「敬老の日」です。

投稿者プロフィール

宇野謙一カウンセラー
宇野 謙一くれたけ心理相談室(大阪支部)心理カウンセラー
くれたけ心理相談室(大阪支部)は、大阪府大阪市・八尾市を拠点に心理カウンセリングを承っております。エリア外の皆様にも、Zoomや電話等によるカウンセリングにて対応させていただいております。

カウンセリングを通じて、「困っていた問題」 が 「新たな気づきや成長へのきっかけ」となることを心から願っています。

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