嬉しいけれど許せない〜個人と公人の葛藤〜
くれたけ心理相談室大阪支部 心理カウンセラーの宇野謙一です。
ご訪問いただき、ありがとうございます。
「公私の使い分け」とは難しいものですね。
個人的にはOKでも、公の立場から考えればNG。
そういうことが多くあるようです。
私は、フランクに接してこられるのが苦手ではないので、一般論や関係性から言えば宜しくないと見做されるような相手の言動を基本的には受け入れており、個人と公人という2人の自分の間で葛藤しています。
たとえば、私が実際に現在進行形で体験していることですが、用がある時に、声がけの代わりに肩や腕を叩かれたりつつかれたりする(所謂ボディータッチ)ことにも抵抗はないですし、話のはずみで立場を超えて「あんた」と呼ばれても失礼に思ったり怒ったりはしませんが、それは、あくまでも個人としての話。
周囲から見れば、私に対するそうした行為は、双方の関係性の点で問題であり、私自身が気にしなくても周囲が気にして、相手が悪く思われてしまいます。ことに相手が女性だった場合、関係性の問題ばかりか男女の仲という点にまでおかしな印象を与えかねません。
そこで、公人としての自分から「自分自身は気にしていないが」と前置きした上で、「あなたが悪く思われないためにもお互いに気をつけましょう」と言わざるを得ない訳です。
個人的には、ボディータッチもコミュニケーションの一つと捉え、事情やむを得ない場合もあるだろうと問題なく受け入れており、話の流れで「あんた」と呼ばれることも「妻が夫を呼ぶ時のようだ」と面白がって笑いながら「『あんた』って…。誰に向かって言ってんのよ」とたしなめる。私はそういう人間です。
にも関わらず、公人としての自分は、どちらも「距離感を間違えている不適切な言動」と捉えており、許すどころか喜んで受け入れている個人としての自分との間で葛藤が生じています。
「(個人としては)嬉しいけれど(公人としては)許せない」
こういうことですね。
もし、私がカウンセラーや指導員としてクライエント様や利用者さんと恋愛関係に陥った場合、倫理道徳的には間違っていなくても、立場上宜しくない。これも「公私の使い分け」の難しいところだと常に思っています。
私自身は、こうした自分と向き合い、自らの手でカウンセリングを施すつもりですが、こうした「公私の使い分け」の難しさからくる葛藤は、恐らく多くの方々が抱えておられるものではないでしょうか。
同じ葛藤を持つ者同士として、カウンセラーとして、共に考えていけたら幸いです。
ご静読ありがとうございました。

「公私の使い分け」とは難しいものですね。私は、声がけの代わりにボディータッチされるのも、話の流れの中で「あんた」と呼ばれるのも、「やむを得ない事情がある筈」「妻が夫を呼ぶ時みたい」と個人的には喜んで受け入れながら、公人としては、どちらも「距離感を間違えた不適切な言動」として相手に注意することがあり、そこに「嬉しいけれど許せない」という葛藤が生じています。まずは、こんな自分に自らカウンセリングを施し、その経験を、同じ葛藤を抱える方々のために役立てたいと思っています。
投稿者プロフィール
- くれたけ心理相談室(大阪支部)心理カウンセラー
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くれたけ心理相談室(大阪支部)は、大阪府大阪市・八尾市を拠点に心理カウンセリングを承っております。エリア外の皆様にも、Zoomや電話等によるカウンセリングにて対応させていただいております。
カウンセリングを通じて、「困っていた問題」 が 「新たな気づきや成長へのきっかけ」となることを心から願っています。
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