プライドを捨てて…〜限界を知り、立ち止まって考える〜
くれたけ心理相談室大阪支部 心理カウンセラーの宇野謙一です。
ご訪問いただき、ありがとうございます。
あくまでも私見ですが、人は皆、プライドを持つ寂しがりやだと思うのです。
恐らく、それぞれの立場や気持ちに応じて、本来自分に与えられる役割や評価など、「こうあるべき」と信じて疑わないものもあるでしょう。
自分の立場なら物事はこうあるべき、という気持ちは、紛う方なきプライド(自分の才能や個性、業績に自信を持ち、他者からの評価を求める気持ち。誇り・自尊心)の表れであり、それが思い通りにいかないことで寂しさを感じてしまう。誰にでもあることだと思いますし、私自身の中にもあることを否定しません。
しかし、私はこうも考えます。
「与えられる前に、与えているか?」
たとえば、上司や管理者の立場にあり、唯一決定権を持ち相談相手に成り得るのは自分だと自負したところで、周囲が必ずしも頼ってくる訳ではありません。
立場ではなく、人を見るからです。
「自分はこういう立場だ」というプライドから「相談してくれ」「頼ってくれ」と思い訴えたところで、日頃の言動などから信頼を得ていなければ、自然とその役目は他の誰かにいきます。
求めるばかりで与えていない何よりの証です。
早い話、SNSで「いいね」がつかないことでプライドが傷ついたり寂しがったりする前に、自分はそれだけ他者の投稿に真摯に向き合ってきたか?ということですね。
求めるばかりで与えていなければ、自分も何ももらえない。
カウンセリングばかりでなく、何をしていても感じることです。
どんなに優れた(つもりでいる)人であっても、一人でできることや人間性には限界があります。
だからこそ、自分が理想とする立場上の役割や評価が得られないことに対して、ただ「相談してくれ」「頼ってくれ」とないものねだりを叫ぶのでなく、「何故、自分に相談したり頼ったりしないのか?」を立ち止まって考える必要があるのではないでしょうか。
自分の限界を知り、プライドを捨て(ありのままの自分、できない自分を素直に受け入れ、些細なことでも感謝の気持ちを伝え、謙虚な姿勢でいる)、立ち止まって考える。
自尊心が満たされず、寂しさを感じたら、まずはこの3つから始めてみることではないかと私は思います。
そして、何よりも「こんな人と一緒に何もしたくない」と思われるような人間にならないこと。
大切なのは、理論より痛みを知るピュアな心。
そう信じて日々精進です。
お楽しみ様でした。

人は皆、プライドを持つ寂しがりやだと思うのです。立場に応じた役割や評価が得られない寂しさでプライド(自尊心)が傷ついた時には、「与えられる前に与えているか?」を考えること。自分の限界を知り、プライドを捨て、立ち止まって考える。まずはこの3つから始め、何よりも「こんな人と一緒に何もしたくない」と思われるような人間にならないこと。大切なのは、理論より痛みを知るピュアな心です。
投稿者プロフィール
- くれたけ心理相談室(大阪支部)心理カウンセラー
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くれたけ心理相談室(大阪支部)は、大阪府大阪市・八尾市を拠点に心理カウンセリングを承っております。エリア外の皆様にも、Zoomや電話等によるカウンセリングにて対応させていただいております。
カウンセリングを通じて、「困っていた問題」 が 「新たな気づきや成長へのきっかけ」となることを心から願っています。
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