時には、正論=無理解~肝心なのは状況を考えること~

くれたけ心理相談室大阪支部 心理カウンセラーの宇野謙一です。
ご訪問いただき、ありがとうございます。

カウンセリングや就労支援など、様々な問題や障害を抱える方々と関わる中で、「正論=無理解となることがある」と思うことが度々あります。

一例を挙げますと…。
障害者就労支援事業所の利用者さんの中には、障害の特性や服用している薬の影響で日中の眠気が避けられない方もおられたりします。もちろん、自分なりに改善の努力をしたり、医師に相談するなど、手は尽くしているでしょうが、やはり身体のことですから、ダメだと分かっていても自分ではどうにも出来ず、業務中に居眠りをしてしまうことにもなります。
そこで、「仕事中に居眠りするな!」とただ正論を振りかざすだけでは、何の解決にもなっていませんし、そうした障害があることが分かっていて、だからこそ、支援を必要とする利用者としてここにいるにも関わらず、その状況を一切顧みることなく「居眠り」という事実だけを捉えて糾弾するのは、正に「正論=無理解」以外の何物でもないでしょう。
ここで成すべきは、「居眠りを糾弾する」ことではなく、「居眠りを減らす、ひいてはなくすためにはどうすればいいかを共に考える」ことです。

正論とは、道理が通っている間違いのないものだとは思いますし、私自身、様々な考え方を認めはしても、物事を論理的に整理したり、問題解決の指針としたり、といったところで、普遍的な正しさはあると信じていますが、相手の感情や状況への配慮もなしにただ正論を振りかざすだけでは、価値観との衝突や反発を招く可能性が高いでしょう。

それが、「正論=無理解」ということなのだと私は解釈しています。

人間の成すことや信条は、それぞれの感情や状況、多様な体験や価値観が絡み合う中で、論理だけでは割り切れないことも多いものだという実際は私も身に沁みています。

事情どうしようもないところへ、感情や抱えている困難を無視して、ただ「それが正しい」と正論を振りかざすだけでは、相手にとっては、自分の気持ちを理解してもらえないことになり、共感の欠如から溝ができてしまいます。

たとえそれが正論であっても、タイミングや状況が不適切だと相手の反発を招く恐れすらあるでしょう。

「正論=無理解」ということは、正論に固執して現実的且つ柔軟な対応ができなくなるということでもあると思います。

正論は、もちろん正しい考え方ですが、相手の感情に寄り添う(共感を示す)・話を聞く・状況を考慮する・柔軟な視点を持つ、といった姿勢も同時に必要でしょう。

相手への配慮なしにただ正論を振りかざしても、より良いコミュニケーションや相互理解にはつながらないはずです。

正義の定義は立ち位置で変わる、とも聞きます。
正論が時には無理解になることがある、ということをよくよく弁え、誰に対しても状況を考えた柔軟な接し方をしたいものです。

お楽しみ様でした。

正論が無理解になることは多々あります。相手への配慮なしにただ正論を振りかざすだけでは相手の気持ちを理解出来ず、相手の反発を招いたり双方の溝を深めたりすることになり、より良いコミュニケーションにはつながらないでしょう。正論が時には無理解になることかある、ということをよくよく弁え、誰に対しても状況を考えた柔軟な接し方をしたいものです。

投稿者プロフィール

宇野謙一カウンセラー
宇野 謙一くれたけ心理相談室(大阪支部)心理カウンセラー
くれたけ心理相談室(大阪支部)は、大阪府大阪市・八尾市を拠点に心理カウンセリングを承っております。エリア外の皆様にも、Zoomや電話等によるカウンセリングにて対応させていただいております。

カウンセリングを通じて、「困っていた問題」 が 「新たな気づきや成長へのきっかけ」となることを心から願っています。

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