レッテルに潰されない~自己主張と抵抗~
くれたけ心理相談室大阪支部 心理カウンセラーの宇野謙一です。
ご訪問いただき、ありがとうございます。
「屁(作:新美南吉 ※『ごんぎつね』の作者)」という作品をご存じでしょうか?
主人公の少年・春吉君が級長を務める彼のクラスには、家が貧乏で、いつも汚い着物を着て、授業中に度々音もなく放屁しては(いつも臭いで大騒動になる)先生に折檻されており、あいつは屁こき虫だと下級生からさえ軽蔑されている、屁の名人・石太郎がいます。
ある時、春吉君自身がうっかり放屁してしまい、臭いで騒動になり、今日は自分が叱られるかと思いきや、いつものように石太郎がしたことになり、本人が弁解しなかったため、春吉君も自分がやったとは言い出せず、結果的に彼に濡れ衣を着せてしまうのです。
当初、春吉君は、自己嫌悪に陥りますが、石太郎が弁解しなかったのは、他人の罪を被ったからではなく、単にそんなことすらできない性質だったからだと思い至り、以後、教室で屁騒動が起きても、安易にやったのは石太郎だと信じなくなり、また、人が生きていくためには、こういうこと(石太郎の濡れ衣)が肯定されるのだと思うようにもなったのでした。
貼られたレッテルを剥がそうとするどころか、やっていないことまで自分のものとして受け入れてしまう、自己主張や抵抗のなさ。
本人が弁解しないのをいいことに、自分がやったことの責任を押し付ける周囲の狡猾さ。
人が生きていく上で、「他者に罪を擦り付けて知らん顔」がまかり通る現実。
理屈が合わないことが多いというのは、昔も今も変わらないようです。
レッテルを剥がさずに受け入れてしまう、つまり、無意識にレッテルに潰され、自分の価値や立ち位置を自ら固定してしまうところに根本的な問題があるような気はしますが。
これと同様の、営業事務職でミスが多い先輩に心ならずも自分のミスを押し付ける形になってしまった後輩の話を昨日のネット記事でも読みました。
「間違えたのは自分かもしれない」と思いながら、記憶や内容が定かではなく、「私かもしれません」と言い出せなかった後輩。
自分のミスかどうか、記憶が曖昧だったため、「私ではありません」と否定せず、結局自分が怒られた先輩。
後輩は「いつもミスをしないでちゃんとしている」という一種の(失いたくない)周囲の信頼やプライドから自分を否定できず、先輩は「ミスの多いことをカバーする努力はしているが、いつまたミスをするか分からない」という自己評価不安から自分を肯定できなかったのではないでしょうか。
春吉君と石太郎も、この後輩と先輩のようなことだったのかもしれません。
石太郎も、先輩も、無意識に「屁こき虫」「ミスが多い」というレッテルを受け入れ、それに縛られていたために、「私はやっていない」という自己主張ができなかった。そもそも、一方的な決めつけを撥ね退けるだけの抵抗を持ち合わせていなかった。
そういうことではなかったのでしょうか。
大きな出来事や、小さな出来事でも回数が重なると、どうしても、「あの人はそういう人だ」というレッテルを貼られてしまうことは否めません。
とは言え、そのレッテルを剥がそうと努力することが大切なのであって、「自分はそうなんだ」と貼られたレッテルの重圧に押し潰されて、やっていないことまで自分のミスとして受け入れる必要はないでしょう。
真実は一つ。過去がどうだろうと、どんなレッテルを貼られようと、今は今、未来は未来です。
レッテルに潰されず、真実を曲げない自己主張や抵抗を誰もが持ちたいものだと思います。
お楽しみ様でした。

真実は一つ。過去がどうだろうと、どんなレッテルを貼られようと、今は今、未来は未来です。無意識にレッテルに潰され、自分の価値や立ち位置を自ら固定してしまわず、真実を曲げない自己主張や抵抗を誰もが持ちたいものだと思います。
投稿者プロフィール

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