奉仕は幸せの上に〜犠牲なき献身〜

くれたけ心理相談室大阪支部 心理カウンセラーの宇野謙一です。

ご訪問いただき、ありがとうございます。

 

かのフローレンス・ナイチンゲールは、こう言っています(ドラマ「ザ・トラベルナース」の中井貴一氏風に)。

「犠牲なき献身こそ真の奉仕」

奉仕には自己犠牲の精神も必要だが、経済的援助なしには無力で長続きしない。ということだそうです。

 

過日、メンタルケア・アドバイザーの勉強会でも、そういう結論に至る話になりました。

 

高齢化社会の中で、地域ぐるみでの見守りや支援は課題であり、求められることとされています。

もちろん、それは大前提としてあるということは参加メンバーの誰もが認めるところではありましたが、何でも無制限にやるのではなく、負担の過多で生活や体調に影響を受けないように、取り組み方については現実的な検討が必要だということで、「毎回の手助けが当たり前にならない」「社会資源などの情報提供を軸に考える」など、自己犠牲によらない多くの興味深い意見を聞くことができました。

特に、情報提供については、職業上の知識が役立つ場合もあると思え、そこに軸を置いた「自己犠牲によらない支援」は、現実的且つ理想的ではないかと考えさせられました。

 

自分が健全な状態でなければ誰かのフォローは困難ではないかということは、以前にもこの場でお話しました。

 

確かに、地域ぐるみでの見守りや支援には、住民に無理な負担を強いることなく、行政によるより具体的な対策が大切でしょうし、恐らく、職場などにおける「縁の下の力持ち」の役割や事情のある方のフォローにしても、正当な報酬や感謝の言葉・(奉仕の喜び以外の)本人自身の幸せといったものなくして真の奉仕として成立しないのではないか。経済的援助はもちろん、精神的な充足なしに奉仕の継続は困難ではないか。あくまで一つの考え方として、自分自身の経験からも、私は強くそう思っています。

 

人間の率直な気持ちとして、「縁の下の力持ち」になれたり自分のフォローが誰かの助けになることへの「嬉しい」という感情と、たとえば、「たまには飲みに誘ってほしい(言い換えれば、苦労に報いてほしい)」「好きな女性と仲良くなりたい(人のために力を尽くす以上、自分にも人並みの幸せがあって当然)」という欲求・モノサシが同時に存在するのは自然なことではないか。そんな気がします。

 

支援する側が経済的にも精神的にも満たされ、心の安定が図れていてこそ、真の献身・奉仕ができるのではないかと思えてなりません。

 

ナイチンゲールが精神的充足についてどう考えていたのかは私には分かりませんが、今の時代に則して言えば、それもまた大切ではないでしょうか。

 

誰かの力になるために、まず自分自身が幸せであらねばならない。

率直にそう思っています。

 

お楽しみ様でした。

かのフローレンス・ナイチンゲールは、「犠牲なき献身こそ真の奉仕」と言っています。ナイチンゲールが精神的充足についてどう考えていたのかは私には分かりませんが、今の時代、支援する側が経済的にも精神的にも満たされ、心の安定が図れていてこそ、真の献身や奉仕ができるのではないかと思えてなりません。誰かの力になるために、まず自分自身が幸せであらねばならない。率直にそう思っています。

投稿者プロフィール

宇野謙一カウンセラー
宇野 謙一くれたけ心理相談室(大阪支部)心理カウンセラー
くれたけ心理相談室(大阪支部)は、大阪府大阪市・八尾市を拠点に心理カウンセリングを承っております。エリア外の皆様にも、Zoomや電話等によるカウンセリングにて対応させていただいております。

カウンセリングを通じて、「困っていた問題」 が 「新たな気づきや成長へのきっかけ」となることを心から願っています。

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