脱コミュニケーション〜適切な距離の中で〜

くれたけ心理相談室大阪支部 心理カウンセラーの宇野謙一です。

ご訪問いただき、ありがとうございます。

 

人は人の中でしか生きられない生き物。と言われます。

「ストローク(意味:あなたがそこにいることを私は知っています)」は、人が生きて行く上で精神的に必要不可欠な刺激、心の栄養であり、人は、肯定的なストロークが得られないと、否定的なストロークでさえ手に入れようとすると定義づけられてもいます(決して否定的を欲しストロークが欲しい訳ではなく、生命を維持する為「ストローク」そのものを求めているのです)。

それ故、人にとって最低限のコミュニケーションは必要だと思いますし、自ら積極的にコミュニケーションを求めることは、基本的には望ましいと言えそうです。

 

しかしです。

私の知る限り、カップルカウンセリングや職場などにおいて、過度なコミュニケーションの求めが相手の負担となり、良好な人間関係の構築を妨げているケースが多いようです。

相手が踏み込んでほしくない領域にまで踏み込んだり、そもそも濃密なコミュニケーションが苦手な相手に強引に近づこうとしたりするため、逆にコミュニケーションから遠ざかってしまう。

世の中の誰もが、密度の濃い人間関係やコミュニケーションを欲している訳ではないでしょうから、相手によっては、そういうことも十分に考えられます。

要するに、相手との「適切な距離」が保てていないのだと思います。

 

AIによりますと、「適切な距離」を保つためには、「相手に合わせすぎない」「自己開示の程度を調整する」「自分の時間や空間を大切にする」「相手のプライベートを尊重する」「物理的な距離と心理的な距離を意識する」「同調的な会話を避ける」「複数の活動拠点を持つ」「挨拶を大切にする」ことが大切だということで、私にも異存はありません。

特に私は、「相手のプライベートを尊重する」「複数の活動拠点を持つ」「挨拶を大切にする」の三つが肝心ではないかと感じており、カウンセリングその他の機会に度々話すことがあります。

 

「特定の相手に固執しない」⇒相手をせず自由を妨げれば、自分も大切にされないのではないでしょうか。

「コミュニケーションによらない精神的充足をもたらす何かを持つ」⇒人とのコミュニケーション以外の身の置き所(趣味その他の活動など)を持つことで、コミュニケーションがなくても心が満たされることは十分に可能ではないでしょうか(活動が新たなコミュニケーションにつながることももちろんあり得るでしょう)。

「挨拶で友好関係を築く」⇒基本の挨拶ができていれば、コミュニケーションとしてはまず成功であり、それ以上を強引に求める必要はないかもしれません。

 

ということで、他者との「適切な距離」を大切にすること。極論を言えば、最低限の挨拶や必要なやり取り以外をせず「深いコミュニケーションを取らない」ことで良好な人間関係が構築できていることもあるような気がします。

コミュニケーションをするなということではなく、適切な距離の中でやり過ぎないようにという意味で、「脱コミュニケーション」で「コミュニケーションによらない精神的充足」を図ることを考えてみる必要があるかもしれないなと感じている今日この頃です。

 

お楽しみ様でした。

人は人の中でしか生きられない生き物。と言われます。そして、私の知る限り、カップルカウンセリングや職場などにおいて、過度なコミュニケーションの求めが相手の負担となり、良好な人間関係の構築を妨げているケースが多いようです。相手との「適切な距離」が保てていないからではないかという気がします。他者との「適切な距離」を大切にすること。極論を言えば、最低限の挨拶や必要なやり取り以外をせず「深いコミュニケーションを取らない」ことで良好な人間関係が構築できていることもあるような気がします。「脱コミュニケーション」で「コミュニケーションによらない精神的充足」を図ることを考えてみる必要があるかもしれないなと感じている今日この頃です。

投稿者プロフィール

宇野謙一カウンセラー
宇野 謙一くれたけ心理相談室(大阪支部)心理カウンセラー
くれたけ心理相談室(大阪支部)は、大阪府大阪市・八尾市を拠点に心理カウンセリングを承っております。エリア外の皆様にも、Zoomや電話等によるカウンセリングにて対応させていただいております。

カウンセリングを通じて、「困っていた問題」 が 「新たな気づきや成長へのきっかけ」となることを心から願っています。

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