幸せ?それとも今は不幸せ?〜人生の捉え方〜

くれたけ心理相談室大阪支部 心理カウンセラーの宇野謙一です。

ご訪問いただき、ありがとうございます。

 

トーク術の勉強も兼ねて「新婚さんいらっしゃい!」を毎週録画して見ています。

そこには、老若男女悲喜こもごもの人生模様がありますが、ご夫婦の語るエピソードを聴いて、「それって幸せ?不幸せ?」と思うことがよくあります。

 

特に、離婚や死別で長らく1人で生きてきた、或いは、シングルマザー・シングルファーザーとして仕事と子育てに奮闘してきて、今、ようやく出会えた新しい伴侶と幸せである。というようなケースにおいてその思いが発動することが多いですね。

 

離婚や死別は確かにつらいことだと理解しています。

でも、それは、別れた相手との出会いや愛し合った日々、苦楽を共にした結婚生活を経験した上での結果。

そこに、子供のために苦労を厭わず、親子で助け合いながら共に暮らす今があったとしたら…。

もちろん、ご本人もそうは思っていないでしょうが、周囲から見れば、「苦労」や「不幸せ」と捉えがちになりはしないでしょうか?

 

私自身、複雑な事情から子供もないままに離婚して、30年も前の「お互いに想い合いながら成就しなかった恋」を懐かしく思い返しながら生きている身です。

今のところ、この先の人生を共に歩んでいける相手との出会いもありません。

でも、それを「苦労」や「不幸せ」だとは決して思いません。

生涯に1人、想いを向け合った忘れられない(忘れてはならない)人がいる。

短いながらも妻と呼ぶ人と共に暮らした月日もある。

それのどこが「苦労」や「不幸せ」なのか?

そんな気持ちです。

 

テレビの演出や司会者のトーク術、家族からの手紙などの感動もあってか、つらい日々を乗り越えての今に見えがちかと思いますが、恋愛や結婚、親になる、そうした経験がなかったり、したくてもできずにいる人から見れば、そのつらい日々自体、自分が欲しくても得られないものを既に得ているという証であり、そこに生じる苦労が果たして苦労と呼べるのか?とも言えるのではないでしょうか?

 

悲喜こもごもの人生をどう捉えるか?

どんな経験も、捉え方次第で「幸せ」にも「不幸せ」にもなり得るということは、今更言うまでもないと思います。

 

現状に「幸せ」を感じていない人から見れば、自分が得たくても得られない「幸せ」を得ている人は、そこにどんな苦労があろうとも決して「不幸せ」ではないでしょうし、現状を「幸せ」でないと感じている人も、見方を変えれば周囲が羨むような「幸せ」に囲まれているかもしれません。

そんなことを思いながら、毎週、「新婚さん」に画面越しにツッコミを入れています。

 

お楽しみ様でした。

「新婚さんいらっしゃい!」は、トーク術や人間観察の勉強にはなりますが、ご夫婦の語るエピソードを聴いて、「それって幸せ?不幸せ?」と思うことがよくあります。どんな経験も捉え方次第で「幸せ」にも「不幸せ」にもなり得る。自分が得たくても得られない「幸せ」を得ている人のことは、どんな苦労があっても決して「不幸せ」に見えないでしょうし、「幸せ」を得ていないように思う自分の人生も、見方を変えれば人が羨むような「幸せ」に囲まれているかもしれません。そんなことを思いながら、毎週、「新婚さん」に画面越しにツッコミを入れています。

投稿者プロフィール

宇野謙一カウンセラー
宇野 謙一くれたけ心理相談室(大阪支部)心理カウンセラー
くれたけ心理相談室(大阪支部)は、大阪府大阪市・八尾市を拠点に心理カウンセリングを承っております。エリア外の皆様にも、Zoomや電話等によるカウンセリングにて対応させていただいております。

カウンセリングを通じて、「困っていた問題」 が 「新たな気づきや成長へのきっかけ」となることを心から願っています。

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