厳しい態度に耐えられない~自身の甘えを排除する~
くれたけ心理相談室大阪支部 心理カウンセラーの宇野謙一です。
ご訪問いただき、ありがとうございます。
家庭や職場で家族や同僚にキツい態度をとってしまうことはないでしょうか?
虫の居所が悪かったり、いくつもある中の1つにすぎない自身にとっての正論に基づいて相手の言動を腹立たしく思ったり、様々な理由で、論理的にではなく感情的にそうなってしまうことは決して珍しくないと思います。
ここで問題なのは、自らが正しいと思い込んで論理的に道理を説いているつもりで実は一方的な自論を感情的にぶつけているだけ、というケースが散見されることです。
俗に言うロジカルハラスメント(ロジハラ:正論を振りかざして相手を論理的に追い詰めてしまう言動)ですね。
たとえ内容が正しくても(自分では正しいと思い込んでいても)、正論が1つではないことに思い至らず、相手の立場や気持ちを考えず、意見交換もせず、一方的に相手を否定したり、自分よりの勝手な理屈で押し切ったりすることで、相手を精神的に傷つけ、職場の雰囲気を悪化させることがあります。
もし、それが、人前で、結果的に周囲から晒し者や公開処刑のように捉えられ、見ている人に少なからず恐怖や不安を感じさせるようなものであれば、それは最早「ただの暴力」です。
そうなった理由の是非を問わず、誰かの厳しい言葉や態度に耐えられないという人は多いものです。
それが自分に向けられたものであろうとなかろうと、強い口調や態度を目の当たりにすること自体に抵抗がある、ショックを受ける。そういったことです、。
誰しも、優しさの中で過ごしたいと願う気持ちは同じでしょうし、耐えられないほどの強い口調や態度を目の当たりにするのは、多くの人にとってつらいことであろうことは理解できます。
これが、確たる理由もなしに、或いは相手の一方的な理不尽があってのことであれば、「厳しい態度に耐えられないのは、あなたが弱いからではなく、感受性豊かで、人間らしい感情を持っている証拠」だの「無理に我慢しようとせず、自分の気持ちを大切に」といたわることは可能ですし、その必要も感じられます。感じ方の違いもあるため、相手に悪気がないことが心に響いてしまうことを差し引いて考えるのも1つのあり方でしょう。自分を守るために、物理的・精神的に距離を置く。相手と、ひいては周囲と関わる時間を減らす:。心のシャッターを用いて相手の言葉を真正面から受け止めないようにする。自分の感情を客観的に見つめる。感じたこと、考えたことを書き出す。誰かに話を聞いてもらう。相手に自分の気持ちを率直に伝える。といったセルフケアを含めた対処方法をお伝えすることもできます。
しかし、ここで間違えてはならないのは、ここまでお伝えしたことは、あくまで先に厳しい言葉や態度で傷つき思い込まれた人に向けてのもので、自身が厳しい言葉や態度で人を傷つけ追い込んだことに対しての反論として自身のしたことがブーメランとなって返ってきたことを受け止め切れず「厳しく言われてショックを受けた」と被害者ぶるのは心得違いも甚だしいということです。
「暴力を振るわれた」が免罪符ではないように、「厳しい言葉や態度にショックを受けた」「怖かった」で自分が一方的に厳しい言葉や態度で人を傷つけ追い込んだ事実は帳消しになりませんし、その大きな罪が許されるものではありません。
「今、あなたは、以前〇〇さんをパニック状態にさせた時と同じことをやっている」「あなたの言葉が原因で、相手が病気になったり仕事ができなくなった場合、それは、あなたが会社に損害を与えているということ」と言われても、それを真摯に受け止め、自分の行き過ぎた言動を反省しなければならないのです。
この期に及んでの「ショックを受けた」「強く言われるのが怖い」という言い分は、あまりに勝手で、甘えと言われても仕方のないところでしょう。
「厳しい言葉や態度」を受けたら、一方的にぶつけられた側にも相手の言い分に耳を傾けて自分が反省するところはすべきですし、自身の言動で人を傷つけ追い込んだことに対して受けた言葉や態度であれば真摯に受け止めて自分の行き過ぎた言動を反省しなければならない。
どちらにも、自分の甘えを徹底的に排除し、「厳しい言葉や態度」をただ問題にするのではなく、双方がどうあるべきかを複数の正論を立てて探り合う必要があるということだと私は思います。
ご清読ありがとうございました。

家庭や職場で家族や同僚にキツい態度をとってしまうことはないでしょうか?ここで問題なのは、自らが正しいと思い込んで論理的に道理を説いているつもりで実は一方的な自論を感情的にぶつけているだけ、というケースが散見されることです。俗に言うロジカルハラスメント(ロジハラ:正論を振りかざして相手を論理的に追い詰めてしまう言動)ですね。もし、それが、人前で、結果的に周囲から晒し者や公開処刑のように捉えられ、見ている人に少なからず恐怖や不安を感じさせるようなものであれば、それは最早「ただの暴力」です。誰しも、優しさの中で過ごしたいと願う気持ちは同じでしょうし、耐えられないほどの強い口調や態度を目の当たりにするのは、多くの人にとってつらいことであろうことは理解できます。しかし、ここで間違えてはならないのは、自身が厳しい言葉や態度で人を傷つけ追い込んだことに対しての反論として自身のしたことがブーメランとなって返ってきたことを受け止め切れず「厳しく言われてショックを受けた」と被害者ぶるのは心得違いも甚だしいということです。「厳しい言葉や態度」を受けたら、一方的にぶつけられた側にも相手の言い分に耳を傾けて自分が反省するところはすべきですし、自身の言動で人を傷つけ追い込んだことに対して受けた言葉や態度であれば真摯に受け止めて自分の行き過ぎた言動を反省しなければならない。どちらにも、自分の甘えを徹底的に排除し、「厳しい言葉や態度」をただ問題にするのではなく、双方がどうあるべきかを複数の正論を立てて探り合う必要があるということだと私は思います。
投稿者プロフィール
- くれたけ心理相談室(大阪支部)心理カウンセラー
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カウンセリングを通じて、「困っていた問題」 が 「新たな気づきや成長へのきっかけ」となることを心から願っています。
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